2015年02月14日
アポロ11号船長が持ち帰った手土産、45年ぶりに日の目
なかでも注目を浴びているのは、月面着陸船のルナ・モジュールに据え付けられていた16ミリカメラだ。1969年、アームストロング船長が月面に最初の一歩を踏み出した様子を撮影したカメラである。
国立航空宇宙博物館のアラン・ニーデル学芸員は「(このカメラは)20世紀で最も意義深い映像のひとつを撮影した」と話す。
ニーデル氏は9日、アームストロング船長の妻からカメラの入った布製バッグのことを知らされたのは2013年6月のことだったと語った。妻はオハイオ州シンシナティ郊外の自宅のクローゼットを掃除中にバッグを見つけたという。アームストロング船長は2012年に死去している。
ニーデル氏によると、船長が持ち帰ったバッグの中身を文書に記録する作業が最近ようやく完了し、博物館はその公開を決めた。
博物館は6日、アームストロング船長のバッグが発見されたことを公にした。また、カメラはすでに博物館で特別展示されている。
アームストロング船長が持ち帰ったビデオカメラ(米国立航空宇宙博物館提供) Associated Press
ニーデル氏は、このカメラで撮影された画像は月面着陸の際にテレビで放映された粒子の粗い画像よりはるかに鮮明で詳細だと言う。フィルムが収まっているカートリッジは着陸ミッションの最中に取り外されたため、カメラ自体は不要になった。
本来であればカメラはルナ・モジュールに残され、宇宙飛行士を軌道船に送り届けた後に月面に投棄されたルナ・モジュールと運命を共にするはずだった。だが、アームストロング船長とバズ・オルドリン月着陸船操縦士、マイケル・コリンズ司令船操縦士は「何か手土産を持ち帰ろうと決めた」とニーデル氏。
ニーデル氏は、不要になった機器類の一部を宇宙飛行士がときに記念として持ち帰ることは長い間、暗黙の了解だったと言う。連邦議会は最近、この慣習を認める法案を通過させた。
アームストロング船長の布製バッグには他にも小さな部品類が入っていた。休憩中にモジュールから体が離れないよう足をつないでおくために船長が使ったテザー(ベルト状のロープ)もある。
2: :2015/02/10(火) 21:36:43.26 ID:
温度差はともかく「低重力でも動くこと」ってのは難しかっただろうね。
飛行機の急降下で動作確認したんだろうかw
月面ではフィルムは強力な放射線で
普通に写らないはずなのに
なぜか写真も動画なんともなく地上のように
キレイに撮れてるのはなぜ?
アームストロング船長も、後年月へ行った気がしないって言っていたよね
火星探査の前に月面着陸だろ 「嘘ついてましたっ」て言えば少しは気が楽に
なっただろうに可哀想なもんだよ 宇宙行かない宇宙飛行士
なんで40年も開発しないの?
開発どころかあれから誰も着陸してないのはなぜ?
それともNASAからやると言われたのか。
真実はどうあれ俺は信じてるんだということなら、ご自由にどうぞとしかw
まっ 100歩譲って40年前から行けたなら、今頃は月面基地にホテルとか
低重力スーパージャンプアミューズメントパークぐらい併設で出来てるけどな
何にもなくて残念だったな ぷっ
理系で捏造だって言ってる人、聞いたことないぞ。
天文学専門で捏造だって人いる?
月レース当時世界の半分を握っているソ連と何から何まで張り合っていた
ソ連に打ち勝つためなら他を犠牲に出来た
そんな時代だから、とんでもない予算が必要となるアポロ計画とベトナム戦争というとんでもない二正面作戦を当時は実現できた
アポロが成功を重ねて月着陸が珍しくもなくなり、ベトナムの方も厭戦ムードが高まった
アポロの次に計画されたのは宇宙ステーションを含めたシャトル計画だったけど、その頃はもう予算を湯水に使うことはできず、とりあえずスペースシャトルだけが実行に移された
宇宙ステーション計画は取れない予算と闘いながら他国の協力も募りだんだんと妥協の産物と化していく
そんな中、最大の敵であり最大の予算獲得の口実でもあったソ連が崩壊した
こんな時代の流れだぜ?
アポロ時代と同じ予算をいつまでもつぎ込めるもんか
仮にベトナム戦争もなくアメリカがその後もアポロ時代と同じ予算を許す世論だったなら、もしかしたら今頃はISSのようなレベルで月面基地くらいは運用されていたのかもとも思えるけど
子供の頃、「20世紀末には宇宙ステーションが出来て、21世紀には月面基地が出来ているでしょう」
と、本に描かれた未来イラストを見てワクワクした。
宇宙開発の進歩を願う自分としては、ソ連が崩壊しないであのまま冷戦が続いて欲しかったと思う。